「受精卵診断」についての裁判(朝日新聞2004/5/27)

 朝日新聞(2004/5/27日付)によると、26日に神戸市の大谷徹郎院長らが日本産婦人科学会と同学会の現・元幹部4人を相手に、「受精卵診断」を規制した学会会告(指針)の無効確認などを求める訴えを、東京地裁に起こしました。原告には大谷徹郎院長の他、診断を希望する患者夫婦5組9人や、非配偶者間の体外受精実施で同学会を除名されたことがある諏訪マタニティクリニックの根津八紘院長も加わりました。原告患者のうち1組は遺伝性疾患で悩んでおり、4組は習慣性流産で流産を繰り返しているそうです。
 私は、「受精卵診断」を受けたいと願う患者夫婦の気持ちが理解できます。遺伝性疾患に苦しんできた親ならば、できるならば「健康」な子どもを得たいと思うだろうし、流産を繰り返してきた女性ならば、流産をせずに子どもを産みたいと願うだろうと思うからです。その気持ちを理解した上で、やはり、生殖医療がどこまで許されるのか、真剣に議論する必要があると私は思います。憲法が規定する幸福追求権によって、「受精卵診断」は認められるべきなのでしょうか。長期的な視野に立って、熟考すべきだと思います。
 これまで日本の産婦人科医療では、妊娠9〜18週に絨毛や羊水を採取して遺伝子を調べる「出生前診断」が、希望者に対して行なわれてきました。そして、何らかの異常が見つかると妊娠中絶を選ぶケースが少なくありませんでした。とりわけ妊娠中期になってからの中絶は、女性の心身に大きな負担となっていたのは事実でしょう。
 これに対して、「受精卵診断」では、体外受精でつくった受精卵が4〜8個程度の細胞に分裂した段階で、1〜2個の細胞を取り出して遺伝子や染色体を調べ、異常のない受精卵を子宮に戻します。ですから、「受精卵診断」は妊娠中絶を避けられる技術であり、「出生前診断」による妊娠中絶のリスクと比較して、女性の心身に優しい技術と言われることがあります。でも、それは本当なのでしょうか。もっと慎重に議論する必要があると私は思います。
 なぜなら、「受精卵診断」をするには体外受精をしなくてはなりません。体外受精をするためには複数の卵が必要なので、女性の身体には排卵誘発剤などの薬が投与されます。薬には副作用があるでしょう。また、卵を採取する際に女性の身体に何らかの異常が起こる場合もあるかもしれません。さらに、「受精卵診断」をするためには1〜2個の細胞が取り出されますが、そのことによる影響が懸念されます。誕生する子どもやその子孫は、何らかの影響を受けないのでしょうか。また、受精卵が無事に着床し、出産にいたる確率も、それほど高くはないでしょう。
 一方、現在の日本の産婦人科医療では、通常の体外受精においても、「受精卵診断」はしないまでも、複数の受精卵のなかで育ち方のよいものを選んで子宮に戻しているそうです。そうすると、こうした(視診による?)受精卵の選別はよいのに、「受精卵診断」による選別はダメなのはなぜなのか、という議論になります。でも私は、こうした議論に終始することなく、もっと慎重に、そして長期的な視野にたった議論すべきだと思います。
 欧米では不妊治療、例えば習慣性流産の予防に「受精卵診断」が行なわれていると報道されることがあります。しかし、「受精卵診断」を認めているのは英国や米国などであって、フランスやスウェーデンでは重い遺伝性疾患の場合のみ認めているにすぎません。ドイツやスイスやオーストリアでは事実上禁止されています。今回、「受精卵診断」をめぐる裁判が大谷院長らによって起こされたのをきっかけに、日本は「受精卵診断」にどう対処するのか、広い視野にたって議論してほしいです。