憲法24条を改正してはならない

 朝日新聞(2004.11.4.生活19面、12版N)の「憲法24条見直しNO!」という記事を読みました。自民党憲法改正プロジェクトチームの憲法改正についての「論点整理(案)」に、「憲法24条」の見直しが盛り込まれていることに、私は驚きと憤りを感じました。
 憲法24条には個人の尊厳と夫婦や家族における両性の平等が書かれています。戦前は女性は家長や家に従属するものとされていましたが、この憲法24条によって、夫婦や家族において女性は男性と同等の権利を有することになったのです。だから、24条は非常に大切な条文です。
 なぜ、いま、自民党憲法改正プロジェクトチームは、憲法24条改正にまで踏み込もうとしているのでしょうか。それは、「家族」の役割を強化するためです。「家族」の役割の強化とは何を意味するのでしょうか。それは、理想的には男女が共に「家族」の扶助義務を果たすことでしょうが、男女差別社会の日本においては、現実的には、女性に「家族」の扶助義務を果たさせることを意味します。子ども、障害者、高齢者の保育、教育、介護の役割を、女性に割り当てるのです。そして、結果的には、性別役割分担が強化されることになります。
 高齢社会のいま、「家族」だけでは老親の介護はできなくなっています。だからこそ、不十分とはいえ「介護保険制度」が始まったのです。また、近年は、離婚率も上がってきています。母子家庭や父子家庭が増え、さらに非婚や晩婚化が進んでいる現代、憲法改正で「家族」の役割を強化したとしても、それは無理な注文です。
 いったい、自民党プロジェクトチームが目指している、よい「家族」とはどんな「家族」なのでしょうか。「家族」がいない孤独な人、あるいは一人暮らしの人、母子家庭、父子家庭の人々は、「欠損家族」として差別されるのでしょうか。先ほど東京都では、残念なことに「国旗掲揚」・「国歌斉唱」が強制されましたが、それと同じように「家族」観までも強制されてはなりません。老いた父母を在宅介護した嫁(娘)がすばらしい嫁(娘)なのでしょうか。あるいは、障害のある子どもの養育・介護に尽くす母親が、すばらしい母親なのでしょうか。自民党のプロジェクトチームのメンバーは、どうも、そういう嫁(娘)、母親を良しとする「家族」観を持っているのではないか、と勘ぐってしまいます。「家族」観は強制されるものではありません。私は、「憲法24条」を改正してはならないと思います。