『文章のみがき方』 辰濃和男(岩波新書)をみました

 辰濃和男さんの『文章のみがき方』をパラパラとめくってみました。各節ごとに小説家や文章家たちの文章に関する「名言」を記し、辰濃さんがそれについて解説しています。例えば「毎日、書く」。書くことが思いつかなければ、天気や買い物について記すだけでもよい、と。忘れていたことを思い出したような気持ちがしました。
 今週、『カラマーゾフの兄弟』の再再読(!)も終了しました。また、ロシア映画カラマーゾフの兄弟」(1968年)は、DVD(3枚組)の1枚目だけ見終わりました。映画のなかのアリョーシャは、頼りなさそうな青年です。小説とは印象がまるで違います。

サントリー美術館の「鳥獣戯画展」を観ました

 昨日、サントリー美術館の開館記念特別展「鳥獣戯画がやってきた!−− 国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌」を観てきました。12〜13世紀の絵が残っていること自体、すばらしいし、絵も躍動的で美しかったです。
 特に興味深かったのは、ボードゲームに興じている人間たち、ウサギと猿たちの姿です。鳥獣戯画の「丙巻」では人間が囲碁、盤双六(バックギャモンのようなものか)、将棋に興じています。16世紀に土佐光信が描いたといわれる「模本」では、ウサギと猿が囲碁に興じていますし、双六の盤のようなものを担いでいる猿もいます…。平安時代にはすでにボードゲームが盛んだったんですね。驚きました。「模本」もたくさんありました。鳥獣戯画は、後世の画家や僧侶たちに多大な影響を与えたんですね。本物の絵巻を観ることができて良かったです。

夢の技術か?「思う」だけで「行動」(朝7時NHKニュース)

 今日の朝7時NHKニュースで、操作者が「思っただけで」その通りに機械が動く、という新しい技術が紹介されました。紹介された事例は以下の二つです。
・「手の指を動かしたい」と思うと、機械で作られた手の指が動く。
・多人数同時参加型コミュニティネットワークソフト「セカンドライフ」のキャラクターが、操作者が「思う」通りに動く。例えば、直進せよと「思う」と直進する。
 この技術は、手足等が不自由な人のために役立つ新技術だと紹介されたようです。これまで障害ゆえに不自由を被ってきた人びとにとって朗報に違いありません。「思う」だけでその通りに機械が動くのであれば、何と便利なことでしょう。
 でも、「思う」即「行動」という技術の「負」の側面が私は恐くてなりません。利用の仕方によっては、この技術は、恐ろしいこと、何か犯罪のようなものに繋がる可能性を秘めているように私は思います。
 ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を読んだでしょうか。この小説では、次男のイワンは「父を殺したい」と願望し、イワンを慕う下男のスメルジャコフが実際に手を下します。そしてイワンは、殺人幇助の嫌疑を自らいだき、狂気に陥るのです。でも、イワンは殺人の実行犯ではありません。私は「思う」ことと「行動」は明らかに違うと思うのです。
 今朝NHKで放送されたこの新技術に則して言えば、イワン(操作者)が「思い」、スメルジャコフ(機械、キャラクター)が「行動」したとなります。もしも、イワン自身がこの技術を利用(悪用)していれば、イワンが「思う」→イワンが「行動」となったのかもしれません。こんな恐ろしいことがあるでしょうか。
 日々の生活のなかで、どんな善人であっても、多かれ少なかれ、「悪い」ことをしたいと「思う」瞬間があるでしょう。もちろん、現実の生活では、「思う」ことと「行動」との間には何重ものクッションが横たわっており、「思う」けれど「行動」しない場合も多いと思います。もしも、「思う」即「行動」となれば、おそろしい世の中になるのではないでしょうか。新技術を開発する際には、「負」の側面も検討してほしいと切に願います。

ロシア映画(1968)「カラマーゾフの兄弟」

 私は大学時代にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んで感動したのですが、最近の「カラ兄!」ブームに乗って、再読し、またまた感動しました。この作品は中毒になりますね。私は大学時代からずっとアリョーシャが大好きですが、今回読み直してみると、ミーチャとグルーシェニカにも好感を持ちました。
 つい先日、1968年のロシア映画カラマーゾフの兄弟」(監督: イワン・プイリエフ)のDVDを購入しました。映画では、ロシアの修道院や家の内部、街の様子、人びとの服装、歌や踊り、食事などに注目したいです。約4時間の大作ですが、少しずつ、ゆっくり楽しもうと思います。

埼玉県立近代美術館 「田園讃歌−近代絵画に見る自然と人間」

昨日、埼玉県立近代美術館 の企画展「田園讃歌−近代絵画に見る自然と人間」をみました。そして、日本の画家たちがいかにヨーロッパの絵画に憧れ、模写してきたか、がわかったような気がします。同じ積みわらでも、フランスのは麦、日本のは米なのかしら、でも日本の絵画にも麦を描いているものもあったな、季節はいつだろう、などと思いながらみました。

映画「ヘアスプレー」を観ました

 現在公開中のミュージカル映画「ヘアスプレー」を2007/10/22に観ました。この「ヘアスプレー」は、1987年に映画化され、2002年にブロードウェイでミュージカル化されたものを、ミュージカル映画にリメイクしたものだそうです。私は今回初めて「ヘアスプレー」を観ました。
 ところはアメリカ合衆国の東部の都市、ボルチモア。時は1960年代(たぶん)。主人公は、踊りとおしゃれが大好きでちょっと太めで小柄の白人の女子高生です。彼女は、幸運なことに地元テレビの人気番組「コーニー・コリンズ・ショー」のレギュラー・ダンサーの一人に選ばれるのですが、そこで人種差別を目の当たりにします。そして差別とたたかい、最後はハッピーエンド。
 主役の女子高生役が、明るく純真で活発で、しかも踊りも歌も素敵でした。また、彼女のお父さんも、主人公と同様、純粋でかつユーモアがあり魅力的でした。ジョン・トラヴォルタはデブで巨体のお母さん役でしたが、不気味な雰囲気を振りまいていました。人種、「デブ」、「巨体」、「チビ」、…などに対する偏見や差別がいかに愚かであるか、それをこの映画は訴えているように私は感じました。このほか、歌も、ダンスも、衣裳も、ヘアスプレーで固めた髪型も見応えがありました。
 それにしても、「ヘアスプレー」はリメイクされつつ二十年にもわたって上映され続けているのはなぜでしょうか。それは、現在も、「差別」が身近な社会問題として存在しているからかもしれないと、私は考えました。

第三回オーケストラ・ミューズの演奏会に出演して

 2007年7月8日(日)つくばセンタービルのノバホールで「オーケストラ・ミューズ」の第三回演奏会が開催され、私もチェロ奏者の一人として出演しました。「オーケストラ・ミューズ」とは筑波大学管弦楽団OB・OGオケです。
 曲目は、ブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(ソロは三浦章広さん・藤森亮一さん)と交響曲第二番、アンコールはハンガリー舞曲第一番、指揮は筑波大学管弦楽団と20年もお付き合いのある小田野宏之さんでした。演奏会の評価はお客様がするものですが、以下に私の個人的な感想を書きたいと思います。
 協奏曲については、三浦さんと藤森さんの息がぴったり合っており、舞台の上で聴いていてすばらしいと思いました。
 交響曲の方は、三浦さんがコンマス、そして藤森さんはチェロの最後列で弾いて下さいました。私は、プロオケのチェロの首席奏者とTuttiで共演したのは初めてでしたので、個人的には、すばらしい音楽体験となりました。当たり前ですが、どんな音を出したいかを考えながら、正しいタイミングで音を出すことの大切さを、改めて認識することができました。音の長さ、ダイナミクスなどは、楽譜に忠実に弾くことは言うまでもありません。今年の1月にベルリンフィル安永徹さんと共演した時に、楽器ではなく、歌を歌っているかのように弾く、という趣旨の話をされたことを思い出しました。
 交響曲2番は、チェロ奏者にとっては弾きがいのある名曲です。1楽章のそこかしこにもチェロのメロディーがありますが、特に2楽章の冒頭が圧巻です。チェロの哀愁に満ちたメロディーは何とも言えません。私はこの曲を弾くのは3回目ですが、今回がもっとものびのびと歌うことができたように思います。しかし、4楽章の最後は、イケイケドンドンで、これ以上ない速度と音量で、盛り上がって終わりました。私も大音量で弾きまくってしまいました。節度を持って弾くべきだったと反省しています。この演奏会における私の個人的な課題は、美しい音色で弾くことだったからです。
 アンコールは、団員の緊張もとけ、楽しみながら弾くことができたようです。客席で聴いてくれた私の友人は、アンコールが一番よかったと言ってくれました。これは褒め言葉なのか悩むところですが、プログラムの中で最もポピュラーな曲であり、音楽的に団員が一つになることができたのだと想像します。
 ホールで弾くのは気持ちが良いですね。願わくば、練習ももっと音響のよい部屋でできれば、成果もあがるのだろうと思いました。
最後になりましたが、聴きに来て下さった方々、どうもありがとうございました。